夢を叶えるオーディション

夢を叶える生き方とは

「夢を叶える」という言葉はあまりにもキレイゴト過ぎます。「夢想」しているだけでは人の状況は変わりませんし、「夢を追う」だとか「一生懸命」などという言葉は自分以外の人が言うことです。自分にとって、「それ」は夢ではなく現実感を持った「目標」でなければいけません。自分で「夢」と言っているうちは、本当に「夢」なのです。何かを「目指す」ということはそういうことです。「いつかはああなりたい」では、いつなれるかわかりません。「いつまでにああなるんだ」という気持ちがなければいけないのです。「夢を追う」というシチュエーションは美談として語られることが多いです。ですから、自らの状況をそのような物語と重ねてしまうのもやむを得ませんが、現実はそんなに甘くありません。訓練しなければ実力は伸びませんし、いくら時間があっても足りません。何かを目指すということは楽なことではありませんが、その道が好きになれば苦ではありません。
どのような段階を「目標」とするのかでも人の行動は変わってきます。オーディションに受かることなのか、世の中の人に感動を与えることなのか、一生その道に関わっていきたいのか、どのレベルで考えているのかで変わるのです。オーディションは目標にたどりつくための通過点です。決してオーディション合格、が夢ではないはずです。その「先」が必ずあるのです。遠くを見れば見るほど、その「遠い場所」にいつまでに辿りつこうと考えれば考えるほど、自分の時間が限られているということがわかります。最終的にどうなりたいか、というビジョンがあるからこそ、「計画」が立てられるのです。その計画がないまま闇雲に突き進んでも、実は遠回りしていることになってしまうかもしれません。ゴール、そして通過点は必ず設定しなければいけません。そして「いつまでに」という時間の区切りも必要です。
そのように計画を立てることで、「夢」が一気に夢ではなくなります。リアリティのあるものへと、自分の中で変化するのです。それはそこに至るまでの「プロット」を自分で見出せたからであり、自分の成長イメージがつかめているからです。このイメージ通りに物事が進むように活動することで、日々が「目標」のために存在するようになります。一日一日、一瞬が無駄にはならないものになるのです。ただ闇雲に続けているだけの人に比べると、大きな違いを持つようになります。
自分の道を決める人は自分しかいません。誰かに導いてもらう必要はありません。最終的な目標があれば、オーディションはただの通過点にしかなりません。「オーディションに賭ける」などという状態にはならないはずです。目的を達成するための工程でしかないからです。オーディションに受かりたいという気持ちは、ある意味「ミーハー」なものです。「他の人と違うことを」と考えているようでは、絶対に受かりません。何がしたいから、どうなりたいからそのオーディションを受けるのかという目的がなければ意味がありません。ミーハーな心はすぐにバレます。そして、ライバルたちの大半はその「ミーハー」な状態です。だから自己を律すれば大きな「差」をつけることができるのです。夢を叶えるためには、それを「夢」ではないと思えることが大切です。目標に達する通過点としてのオーディションという考え方を持つようにしたいものです。

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